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zoom RSS There is so little love in the world.

<<   作成日時 : 2007/10/04 22:56   >>

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 学校の授業とも関連している(こっちは映画が主なのだけれど)、"The Hours"(邦題は「めぐり合う時間たち」)の小説を今日読み終えました。

 タイトルは、その中で、何度か繰り返された言葉。

 小説の内容は、とりあえず保留にしておいて、読み終えた今、考えさせられたのは、「(ずっと続いていく)時間=hours」と、「瞬間=モメントmoment」の関係。。。

 愛さずにはいられない「モメント」と、何が起ころうとただ淡々と流れてゆく継続的な時間。
 
 「日常」の時間というのは、自分が何もしなくても進んでいく怖いものであり、周囲の環境=「日常を織り成すもの」、を完璧なものにするために、自分は常にそれに合う役割を演じなくてはいけない。

 それは苦痛でもあるし、逃れられない束縛。

 そんな怖さをもち、逃れられない「流れていく時間」。
 でも、ヒトは日常の中の「モメント」「瞬間」の美しさ(たとえば、自然の光とか、風、音とかね。)を愛さずにはいられない。

 けれども、こんなに「世界」を愛おしく思う瞬間がいっぱいいっぱいあっても、本当に、くるおしいほど愛おしく思うヒトの、(それがたとえ肉体的な結びつきを欲するものだとしても)愛を手に入れることは困難すぎる。

 その苦しみを逃れるためにヒトは愛してもいないヒトとも「関係」をもち、苦しみを隠し、楽しんでいるフリをする。あるいは、もしかすると、そんな自分自身を嘲笑しているのかもしれない。

 キレイで、愛さずにはいられない世界の中の「モメント」の輝き。
 けれども、やはり、ヒトとヒトの関係は、もっとも強い感情を抱く相手のベクトルとかち合うことは少なすぎて、だからこそ、この世界にあるのは so little love。
 どんなに愛おしく世界を感じようと、事実、世界がどんなに美しくとも、そこにはある種の哀しさが横たわる。

 そして、また、そんな風にさまざまな感情や、熱情、悲しみ、そんなものを取り込みながらも、まったく表情も変えずに流れていく「日常」という時間。
 「日常」に取り込まれることは、こわい。

 うすっぺらい板のようなものの上に、それが壊れないように、うまく、うまく自分を載せて(あるいは演じて)いかなくてはいけないから。
 
 ヒトは不思議な生き物。

 日常という流れに乗って「流れて」いるにもかかわらず、誰しも「(記憶の中の)留まっている時間」もまた持っている。
 それが哀しいときか、もっとも幸せな時間かはわからないけれど・・・。

 明日は常にやってくる。何をしようと、しまいが。
 何がおころうとも。

 「日常」がウソか、「モメント」がまれな体験かなんてわからない。
 でも、結局、みんな「あるがまま」。

 「日常」という名の時の流れに、(それはつまり、すべてのものは絶えず変化していて、留まりはしない、ということだから)哀しさとやるせなさを覚えつつも、ヒトは「モメント」の美しさと、生きているからこそ味わえる輝きを愛さずにはいられないんだろうなぁ。

 それは哀しい、けれど、限りなく美しいコトでもある。


 ・・・長くなってすみませんです。。。

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